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東京地方裁判所 昭和40年(行ウ)55号 判決

原告 本多艶子

被告 社会保険庁長官

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は

「原告の請求にかかる被保険者佐藤良雄の死亡に因る災害補償たる遺族一時金支給請求につき、厚生大臣が昭和三六年一月九日付をもつてした不支給の決定を取消す。訴訟費用は被告の負担とする。」

との判決を求め、

被告指定代理人は、主文と同旨の判決を求めた。

原告訴訟代理人は、請求の原因として、

「一 訴外亡佐藤良雄は、船員保険法に基づく船員保険の被保険者であつたが、昭和三四年九月三日、汚物処理作業中、ガス中毒に罹り失神し、糞尿タンクに転落窒息死した。

二 原告は、訴外亡佐藤良雄の死亡当時同人によつて生計を維持していたものとして、その頃厚生大臣に対し、船員保険法による遺族一時金の支給を請求したところ、厚生大臣は昭和三六年一月九日、原告が同法第二三条ノ三に規定する「法第四二条ノ三ノ規定ニ依ル一時金ヲ受クベキ遺族」には該当しないとの理由をもつて、一時金の支給をしない旨の処分をした。原告は、これに対し、昭和三六年三月一一日、神奈川県社会保険審査官に審査請求をしたところ、右審査請求は棄却された。そこで原告はさらにこれを不服として社会保険審査会に対し、再審査請求をしたが、昭和四〇年一月三〇日、再審査請求は棄却され、右裁決書は同年二月二五日原告に送達された。

三 しかし、右の厚生大臣の一時金不支給の処分は違法であるから、その権限の承継庁である被告(昭和三七年法律第一二三号厚生省設置法の一部を改正する法律によつて厚生大臣の右に関する権限は被告に承継された)に対し、これが取消しを求める。」と述べた。

被告指定代理人は

「右請求原因事実中、厚生大臣の本件一時金を支給しないとの処分が違法であるとの点を争い、その余の事実をすべて認める。」と述べ、次のとおり主張した。

「一 船員保険法第二三条ノ三、第二三条ノ四、第一項第三号所定の「生計ヲ維持シタル者」とは、被維持者の側からいえば、生計の依存関係である。そして、ここにいう生計依存関係即ち生計維持の概念は、同法施行規則第八一条第三項第七号、第八一条ノ二第二項第五号所定の「生計ヲ同ジク」する場合、即ち生計同一の関係とは、明白に区別さるべき概念である。生計同一の関係とは、複数人の収支を共同に計算して消費生活を営んでいる関係をいうが、この関係においては、依存関係は問題にならない。尤も収支共同計算のもとにおける消費生活関係のうちには、経済的には相互に相補う関係(この比重は必ずしも均等ではない)を含むことは否定できないが、このような関係のうちで、自己の計算部分から自己が消費した価値を差引いて生ずる余剰が僅少で、かつ、その余剰が相手方の計算部分に比して僅少である場合の如きは、これを「依存」関係というには適しないもので、単なる生計同一関係であるに過ぎない。そうだとすれば、船員保険法等にいう生計維持関係とは、労働者の収入が、消費生活の不可欠な部分となつている状態をさすものといわなければならない。

二 本件についていえば、原告は夫本多豊治と同居し、その収入によつて生計を営んでいるもので、無収入である原告は、豊治の収入によつて生計を維持していたものである。ところで、原告が共同に消費生活を営んでいた者は、夫のほか原告の母である重藤シゲヨ及び亡佐藤良雄であるが、夫の収入は昭和三四年九月当時月額平均二万五〇〇〇円であつて、同収入額のうちから夫本多豊治の別居の母本多スガへの送金四〇〇〇円を差引いても原告の家計充当額は金二万一〇〇〇円となり、昭和三四年当時の物価を勘案すると決して原告らの生計に破綻をきたす状態とはいえない。

亡佐藤良雄は、生前原告の家庭に毎月五〇〇〇円乃至六〇〇〇円を入れていた事実はあるが、この使途は不明である。同人は、昭和三四年四月から、日吉海漕店において汚物処理船の乗組員として船員業務に従事していたのであつて、その当時の生活は、いわゆる船内居住ではなく、原告ほか前記二名と同居生活を営んでいたものである。そうだとすれば、金五〇〇〇円乃至六〇〇〇円程度の金額は、おおむね自己のためにする消費額に相当するものであつてかりにその余剰金額が生じたとしても極く僅少といわなければならず、到底原告の生計維持費とみることはできない。かりに右金五〇〇〇円乃至六〇〇〇円の金額がすべて亡佐藤良雄の消費生活に無縁なものであつたとしても、原告は夫本多豊治によつて生計を維持されていたことは否定できないから、右金額がすべて原告の生計費に充当されたとみることは不合理であつて、原告、夫本多豊治及び重藤シゲヨの生計費に均等に充当されたとみざるをえない。

そうだとすれば、原告にとつて、計算上亡佐藤良雄から得る金額から受ける利益はさほど比重のあるものではない。以上の諸点を総合すれば、原告が亡佐藤良雄から受領する金額の全部又は一部が原告ほか前記二名の生計費の計算に充てられていたとしても、これが原告の生計のために必要欠くべからざるもの、即ち原告が亡佐藤良雄の死亡当時、同人の収入によつて生計を維持していた者ということはできないのである。

かりに亡佐藤良雄が船内居住していたものであり、かつ同人が生前原告の家庭に送金していた月額金五〇〇〇円ないし六〇〇〇円の金員がすべて原告ほか二名の生活費に充当されていたとしても、なお右金額は、原告の生計維持費とみることはできず、右良雄と原告との間に生計維持関係を認めることはできない。その理由は、次のとおりである。

(一)  原告ほか二名の生計の資金となるべき収入についてみると、原告の同居の夫本多豊治の給与収入は、月額平均約金二万五八五二円(税額未控除の額)であり、右豊治は収入のうち毎月金一万八〇〇〇円を原告に渡し、同額と前記平均給与収入額との差額は右豊治が小遣として消費していたものであり、一方原告自身内職によつて月額金一〇〇〇円ないし二〇〇〇円の収入を得ていたが、また、原告の手取額のうちから毎月五〇〇〇円宛を本多スガに送金していたのである。従つて、原告ほか二名の生計の資金となるべき収入総額は、亡佐藤良雄の送金を除いて金一万四〇〇〇円ないし一万五〇〇〇円となること、右豊治は毎月の給与収入のうちから月平均約金七〇〇〇円を前記使途をもつて消費していたことを推認することができる。

ところで、原告は、亡佐藤良雄からの送金額金六〇〇〇円を含め、しかも本多スガへの送金額を控除しない総収入額金二万五〇〇〇円ないし二万六〇〇〇円で主観的にはほぼ一杯の生活を営みえたとみられるので、これから本多スガへの前記送金額を控除すれば金二万円ないし二万一〇〇〇円をもつて右のとおりの生活を営みえたものであるといわざるをえない。

(二)  右の生計必要額について、昭和三四年九月から一一月当時を基準とした消費実態をみると、昭和三四年全国消費実体調査報告(総理府統計局)によれば、神奈川県横浜市西区における勤労者世帯の平均消費支出額は、実収入総額金四万六四九三円、世帯人員数四、〇七人の家庭においては金三万三六八〇円であつて、六大都市における同平均消費支出額と対比すると、おおむね、六大都市の現金収入階級金四万円~四万四九九九円の階層にあたり、その平均消費支出総額は金三万四九一五円(世帯人員数四・七三人)となつている。右対比の結果を前提に更に検討すると、原告の家庭において生計費に充当されていた金二万円ないし二万一〇〇〇円の額は、六大都市の近似実収金二万二五七二円にあたり、これは現金実収入階級金二万~二万四九九九円の階層にあたること、同階層の平均消費支出総額は金二万二八円であること、同額のうちには、原告の家計においては組入れられていない「たばこ代」および「仕送り金」の合計金四三二円が含まれているので、これを控除した右平均消費支出総額は金一万九五九六円であることが明らかである。しかし右金額を算出した対象世帯人員数は三、六二人(原告の世帯人員数は実質三名となる)であるから、前記西区の平均消費支出額が六大都市における同総額と若干異なることを勘案しても、客観的な原告の家計必要費額は、六大都市における右の平均消費支出総額とほぼ同額であることを推認しうるのである。

(三)  ところで前述のとおり、本多豊治は、小遣として、給与収入のうちから約金七〇〇〇円を天引きして消費していた。もとより、右豊治にとつて、小遣として消費すべき若干の額が必要であることは否定しえないが、右費用の額は、当人の職業のいかんを問わず、手取収入総額および生計必要費との関係で相対的に決すべきものである。

原告ほか二名の生計必要費は、前述のとおり、金一万九三〇〇円余を要するにも拘らず、右豊治が約金七〇〇〇円を天引きしたのでは、原告の内職による収入を勘案しても、本多スガへの送金を差引けば金一万四〇〇〇円ないし一万五〇〇〇円が生計費として残るだけにすぎない。そうだとすれば、右残額と右豊治の天引額とを対比したとき、右天引額が不当に多額であることは明らかであろう。

(四)  以上述べたところを総合すれば、原告の家計は、原告と生計維持関係にある夫本多豊治が、原告ほか二名の生計必要費を支出してなお余りある給与収入をえながら、自己の小遣として不当に高額を天引していたため、実質的には約金四五〇〇円ないし五五〇〇円余の不足額を生じ、これを補うために亡佐藤良雄の送金に頼つていたこととなる。このような関係にありながらなお、右送金が法的に、原告の消費生活の不可欠な部分であるとして原告と亡佐藤良雄との間に原告主張のとおりの生計維持関係があるとの見方をすれば、全く不合理な結果を導くことになろう。そして右豊治の小遣としての天引額が相当額である限り、計算上、原告ほか二名の生計必要費に不足を生ずる結果となつてもごく僅かに止まる道理である。しかも右不足額は、原告ほか二名について均等に生ずるものと解するほかないから、原告についての右不足額は更に僅少となる。したがって、かかる僅少の不足額について亡佐藤良雄の送金によつて補填されていたとしても、このことをもつて法律上同人と原告との間の生計維持関係を認めうるものではない。

以上のとおりであつて、原告は、亡佐藤良雄の死亡当時同人の収入によつて生計を維持していた者ということができないのであるから、原告の主張は失当であり、本件請求は理由がないから棄却さるべきである。」

と述べた。

これに対し、原告訴訟代理人は、

「原告は、訴外亡佐藤良雄の死亡当時同人と親子協同体を形成していたものである。そうでないとしても、同人によつて生計を維持していたものである。即ち、同訴外人は、戦災孤児で両親も分らずにいたものであるが、原告夫婦が同人を養子とすることに決めてこれを引取り養育し、後見人となり、原告の夫により就籍届をなし、昭和三五年九月一一日、戸籍を編成した。佐藤良雄は原告の許から小学校及び中学校に通学し義務教育を終了した後、原告の夫が乗組んでいた船である高須丸に見習船員として乗組み、昭和三一年八月からは一人前の船員として働くようになつた。そして一ケ月金一万二〇〇〇円の給料のうちから原告宛に生計費の一部として毎月必ず金六〇〇〇円の仕送りを継続してきた。ついで昭和三四年からは、佐藤良雄は、横須賀市糞尿投棄船日吉丸に乗組むようになつた。この間良雄は原告夫婦を父母と呼びその情愛は真の親子となんら異なるところなく、原告はその夫の収入と共に佐藤良雄の送金によつて生活を維持していたものである。

子供のない夫婦が中年に及んで、養子を貰うということは殆んどの場合の例であつて、養子も持たずに一生を終るということは極めて稀であることは敢て贅言を要しないところである。本件においても原告夫婦(当時夫豊治は四三才、妻艶子は四二才)が、縁あつて良雄という戦災児を養育するに至つたが、このことは決して原告夫婦の単なる慈善的行動ではなく、子供が欲しいという彼らの人間としての本能的行動であつたことは、原告らの良雄に対する生みの親以上の養育ぶりによつて一点の疑もない。下級船員として、妻は内職をすることにより貧しい生計を営んでいた原告夫婦であるにも拘らず、無籍の孤児に新戸籍を作つてやり(養子入籍をしようとしたが成年まで待つてするように戸籍吏に教えられたためにしなかつたが)、前述のとおり小学校を卒業させ、すすんで中学校にも就学させた等々のことは真実の親子の愛情を認めるに十分であるといわなければならない。

尤も良雄は、自己の日誌中に、当初は原告夫婦を父母と呼称していたところ、後に叔父叔母と記載するに至つたがこれは原告の夫と同じ船に乗組んだため、夫は他の部下船員に対する関係上、未入籍の良雄に対し、自分を父と呼ばないよう常に注意していたものであるところから、成長するにつれて次第にそのように呼称の変化が生ずるようになつたものである。しかし原告宅では終始一貫常にこれを「自宅」と呼び、原告夫婦はこれを「父母」と呼んでいたものである。

佐藤良雄の毎月金六〇〇〇円の仕送りは殆んど最低に近いというべき当時の原告方の生計維持の上において、欠く事のできないものであつた。原告の生計は、当時概ね次のようなものであつた。

生命保険料

簡易保険料

火災保険料

地代

水道料

電気料

町会費

新聞代

衛生費

放送局

国元送金

主食

副食

調味料

雑費

交際費

燃料費

衣料費

合計

1,896

1,000

467

330

150

350

50

330

40

100

85

5,000

5,000

4,500

700

1,500

800

800

1,500

25,948

かようにして以上のごとき経過に基づいて設定された共同体は、特に反対の事情の認められない限り、近親者相互間の協同体と目すべきである。

かりに然らずとするも、被告はいわゆる生計維持の生活関係について、昭和四二年(厚)第六一号事件につき同年一一月二二日付裁決書をもつて、「…家族三人は生計を共にし、(亡)母が死亡するまで両親の共稼ぎによつて家計費が賄われていたことが認められる。その収入は、父満が月平均四万六〇〇〇円程度であるのに対し、(亡)母は月平均一万二〇〇〇円程度とはるかに少なく、したがつて家計に寄与する度合も(亡)母の方が低いのもまた明らか」であるが、「(厚生年金)法第五九条で規定するところの生計維持関係は、被保険者又は被保険者であつた者によつて、生計の大部分を維持したものに限らず、生計の一部を維持したものであつても、その者の収入がなければ当該世帯の生計維持に支障をきたしたであろうという程度の関係があれば足りるのである。…この点健康保険法…に『主として‥生計を維持するもの』という規定の場合……とは、根本的に考え方が異なるのである。」と判断しているが、これと同じく船員保険法第二三条の三も、単に「被保険者であつた者の死亡当時その者により生計を維持していた者」となつており、前記厚生年金法と全く同様の規定をしておるものであるから、その解釈もこれを別異にしなければならない理由は毫も存しないのである。而して、本件に於て、被保険者と原告の夫との各給与の比較は、昭和三四年三月から同年一〇月までの合計は、前者が金一一万五〇〇〇円余、後者が金二〇万一〇〇〇円余であるが、そのうち原告に生活費として提出された額は、原告の夫からは毎月金一万五〇〇〇円であり、被保険者からは金一万一〇〇〇円ないし五〇〇〇円であつた。この合計は金二万六〇〇〇円ないし二万一〇〇〇円であるから、この程度の金額からみれば、祖母を含めて四人の家族(そのうち二人は船員であつたが一人は毎日自宅から船に通勤、他は船に宿泊していたが毎週末には帰宅)の生計費としては最低であり、この程度の生計を維持する為には、一ケ月金五〇〇〇円ないし一万一〇〇〇円という金額は決定的な影響を及ぼすものであることはあえて贅言を要しないところである。」と述べた。

(証拠省略)

理由

原告が本訴の請求原因として主張する事実上並びに法律上の主張のうち、厚生大臣のなした一時金不支給の決定が違法であるとの点を除くその余の部分はすべて当事者間に争いがない。

原告が指摘する本件処分の違法部分は、結局、原告の主張によれば、原告は被保険者である亡佐藤良雄との関係では、船員保険法第二三条の三にいう「母」に該当する。そうでないとしても、同条にいう「その者により生計を維持していた者」に該当するというのであるが、それにも拘らず厚生大臣は右決定において、このいずれにも該当しないとした点にあるというのであるから、以下この点について判断する。

(一)  親子協同体関係の存否

原本の存在並びに成立につき争いのない乙第七号証及び原告本人尋問の結果によれば、佐藤良雄は、大東亜戦争中に、爆撃のため両親を失い、終戦後は身寄のない浮浪児として放浪していたところを、昭和二四年頃、原告ら夫婦に引取られたものであるが、原告ら夫婦には子供がなく、一方良雄が浮浪児に似合わず素直な子であつたので、原告ら夫婦はゆくゆくは良雄を養子として迎え、後を継がせようと考えるに至り、同人のために就籍の手続をしてやつたり、その後見人となつて小学校、中学校(夜間)にも通わせ、また中学校卒業前の約半年頃に同人が胸部疾患に罹つたことがあつたが、海員擁済会病院に入院させ、原告ら夫婦の家計が余り豊かでなかつたのに、親身になつてその面倒を見た。そして良雄も、昭和三三年頃までは、原告夫婦を父母と呼び、中学校卒業後、船員として就職し、俸給を得るようになつてからは、その収入のうちから毎月金四〇〇〇円ないし六〇〇〇円宛を原告らに送金していたことを認めることができ、また成立に争いのない乙第二号証によれば、住民票には良雄は「養子」と記載されており、原告ら夫婦としては、同人を事実上養子のごとく扱つていたことを窺うことができる。しかし一方、戸籍上養子縁組の届出のなされていなかつたことは、弁論の全趣旨より明らかであり、前記乙第二号証によれば良雄は、昭和一一年九月八日生れとされているから、昭和三一年九月八日以降は、成人として扱われていたものであり、おそくとも昭和三二年以降は、原告ら夫婦との間で自由に養子縁組の合意をなしうる状態になつたとみることができる。それにも拘らず昭和三四年九月三日の死亡に至るまで養子縁組の法律上の届出はなされず、また試みられもしなかつたものであるうえ前記乙第七号証によれば、良雄は昭和三三年一月ないし三月頃の日記には原告夫婦を父母と記載していたが、昭和三四年五月頃以降は、その呼称を叔父、叔母と変えるに至つていることが明らかである。尤も、この点については、原告は同じ船に乗つていた原告の夫がまだ真実の養子縁組をしていないのに、良雄から父と呼ばれることは、他の乗組員の手前都合が悪いということで、良雄に対して自分を父と呼ばぬようにと注意したため、日記にも叔父、叔母と記載するようになつたと主張し、原告本人の供述中にもこれに沿う部分があるが、同供述によれば、原告の主人が良雄に右の注意を与えたのは、高須丸に乗船していた頃のことであるとされる。ところが良雄が高須丸に乗船していた時期は、原告本人尋問の結果及び弁論の全趣旨よりすれば昭和三三年よりも以前のことであり、一方、良雄が日記中に原告ら夫婦を叔父、叔母と記載するようになつたのは前記のとおり昭和三四年五月頃であつて、この頃には、良雄は既に日吉丸に移つていたのであつて、しかもこの頃には原告の夫の勤務は通いであり、良雄は船に寝泊りしていたから、却つて原告の夫と良雄とは、それより以前と比較して起居を共にする機会が少なくなつていることが認められ、また日記は一般に他人には公表しないことを前提に記述するものであるから、他の乗組員に対する気兼ねがあつたとしても、日記にまで真意を隠して記載することは、通常は考えられないこと等をもあわせ考えれば前記原告本人のこの点に関する供述部分はたやすく措信しがたい。のみならず、原告本人の供述中の他の部分よりすれば、良雄は、将来自分が結婚するまでは、戸籍については、そのままにしておきたいと考えていたことを認めることができる。してみれば、以上の一切の事情を勘案すれば、原告と良雄との身分関係は、いまだ形式的にも実質的にも養親子関係を形成していたものと認めるには足りないものといわざるをえない。

(二)  生計維持関係の有無

そこで次に原告が良雄によりその生計を維持された関係にあつたか否かの点について判断する。

成立に争いのない乙第二号証、及び乙第八号証中の成立に争いのない部分ならびに原告本人尋問の結果によれば、良雄の死亡当時の原告の生活状況は、原告夫婦のほか原告の母重藤シゲヨが原告らと同居し、良雄を含めて合計四名から成る共同生活をしていたが、良雄は一ケ月のうち一日位の割合で家に戻る程度でふだんは殆んど船上生活をしていたから、原告の家計の消費は、実質的には原告夫婦と重藤シゲヨとの三名によつて行なわれていたものであり、その収入としては、原告の夫豊治が月平均手取の俸給金二万五〇〇〇円を得ていたが、豊治はそのうち約七〇〇〇円を自己の小遣銭として天引きした残り約金一万八〇〇〇円を原告に対し生活費として交付しており、そのほか良雄が原告ら宛に毎月金六〇〇〇円を送金し、また原告自身も毎月金一〇〇〇円ないし二〇〇〇円を内職によつて稼いでいたが、一方、右金員のうちから長崎に在住する夫の母親に毎月金五〇〇〇円を送金していたので、差引き毎月の消費に充てられていた金額はほぼ金二万円ないし二万一〇〇〇円であることを認めることができる。

次に成立に争いない乙第九号証の一ないし四、第一〇号証の一、二によれば、昭和三四年九月から一一月当時を基準とした神奈川県横浜市西区及び六大都市の消費実態は、被告の主張するとおりであつて、原告の家庭において、生計費に充当されていたとみられる金二万円ないし二万一〇〇〇円の額は、六大都市の近似実収金二万二五七二円にあたり、これは現金収入階級金二万円ないし二万四九九九円の階層にあたること、同階層の平均消費支出総額は金二万二八円であるが、同額のうちには「たばこ代」及び「仕送り金」(これらはいずれも原告本人尋問の結果によれば、家計金二万円ないし二万一〇〇〇円のうちには組み入れられていないことが明らかである)計金四三二円が含まれているので、これを控除した残類は、金一万九三九六円であることを認めることができる。そして、右金額を算出した対象世帯の人員数が三・六二人であり、原告の世帯の人数が三人であること、横浜市西区における平均消費支出額が六大都市におけるそれに比してやや差異があることを勘案しても、原告の家計の必要費と、六大都市における右の平均消費支出総額とは、ほぼ同額となるべきものと推定することができる。

以上のとおりであつて、本多豊治の一ケ月の平均収入金二万五〇〇〇円のうちに占める同人の天引小遣銭の金七〇〇〇円という額の割合は、同程度の収入の家庭における客観的に必要とみられる生計費を除いた残りの部分の占める割合に比し、著しく大きいことが明らかである。逆にいえば、かりに豊治の天引する小遣の額が同程度の収入の家庭における平均程度――金二〇〇〇円ないし二五〇〇円程度(乙第九号証の四によれば、当時の六大都市の現金実収入階級二万円~二万四九九九円の家計において、雑費のうち、たばこ三三三円、その他一七二三円、交際費三三〇円程度のものが小遣銭として考えられるが、この合計は二三八六円である)であつたとすれば、良雄からの送金が家計に寄与する部分は、殆んどないか、あつたとしても極めて僅少となることは明らかである。従つて良雄からの送金は、結局、現実には豊治が天引きした多過ぎる小遣銭を補うために充当されていたものとみるほかないのである。尤も原告は、この点に関し、生計維持関係があると認められるためには、生計の大部分を維持したものに限らず、生計の一部を維持したものであつても、その者の収入がなければ、当該世帯の生計維持に支障をきたしたであろうという程度の関係があれば足りると解すべきであると主張している。なるほど船員保険法第二三条ノ三、第二三条ノ四にいう「生計ヲ維持シタル者」に該当すべき生計維持関係は、必ずしも生計の大部分を維持したものに限ると解すべき理由はないけれども、少くとも、その者の収入がなくなることによつて、当該世帯の生計を維持するにつき相当に困難な状態を招くに至る程度の寄与がなされていることを必要とするものと解すべきである。

ところで前認定の事実関係の下で、良雄からの送金がなくなつた場合には、原告の家計は、直ちに著しく困難な状態に陥るがごとき観を呈するけれども、前述のとおり、その原因は、実は送金の中止にあるのではなく、もともと豊治の異常な小遣銭の浪費によるものとみるべきであつて、かりに右の浪費がなく標準的な消費生活が営まれていたとすれば、良雄の送金の中絶によつて原告の家計に影響すると考えられる額は、豊治の小遣を月額金二〇〇〇円ないし二五〇〇円、原告自身の内職による収入を月額金一五〇〇円とした場合、せいぜい金九〇〇円ないし一四〇〇円と計算されるにすぎない。そうだとすれば、この程度の金額では、いまだ、それを失うことによつて、直ちに原告の生計を維持するにつき相当に困難な状態を招くほどの寄与がなされていたものとは解することはできない。よつて、原告は、良雄の死亡当時、この者によつて生計を維持していた者ということはできないから、原告のこの点に関する主張は失当というほかない。

以上のとおり、厚生大臣のした遺族一時金不支給の決定は、いずれの点においても適法であり、従つて原告の本訴請求は理由がないというべきであるから、これを失当として棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用したうえ主文のとおり判決する。

(裁判官 緒方節郎 小木曾競 山下薫)

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